ドレッドノートの起源?





ドレッドノートの起源?

1906年、戦艦史上画期的な単一巨砲艦ドレッドノート竣工。
ドレッドノートを世に送り出したフィッシャー卿自身はその起源を、
地中海艦隊司令長官在任中1900年に
マルタ工廠造船主任W.H.ガードとの意見交換中
具現化したものと書き残している。

イタリア人は伊造船官クニベリティ大佐が
ジェーン海軍年鑑1903年版に投稿したアイディアが
フィッシャー卿の目に止まったのだと言う。

また独逸人は28cm砲6門搭載した1890年度計画艦にして
1893〜1894年にかけて竣工したブランデンブルグ級こそ
その先駆者だと言う。

だがここに英国人がまぎれもない先駆者であると言う証明がある。
時は1881年。前弩級戦艦をさらにさらにさかのぼる砲塔艦の時代。
航洋砲塔艦先代ドレッドノートと中央砲塔艦コロッサス
足して2で割ったようなこのスケッチ。




406.4mm前装砲を2門収めた砲塔を、
中央に梯型(ななめ)に2つ、上部構造物前後に1つずつ、
計8門の主砲を持つ戦艦設計案。
私はこの由来を全く知らない、ただ提案者2人の名を知るのみ。
J.A.フィッシャー、F.ワトソンと。
砲術を学び魚雷開発に取り組んでいた若き日のフィッシャーがそこにいた。



*トップ絵などはWarBirds小型艦艇規格の自作アイコンを拡大したものです
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