FV4202「40tセンチュリオン」





FV4202「40tセンチュリオン」(イギリス)

あれっセンチュリオンってこんなのだっけ?



センチュリオン(上)とチーフテン(下)

う〜んなんかセンチュリオンと言うよりチーフテンみたい・・・
そうなんです。
この車輌はセンチュリオンを利用して造られた
チーフテン開発研究用の試作車輌なんです。
後のチーフテンとそっくりの砲塔(ただし105o砲)
やはりチーフテンと同じ足回り(ただし転輪数は5つ)
ようするにミニチーフテンと言った所でしょうか。
2輌造られたのですが、
1輌はイギリス・ボービントン戦車博物館に、
もう1輌はイスラエルに。
なぜイスラエルに? それはこれからお話しましょう。



第二次中東戦争(1956年)終結後、
自軍戦車の能力不足を痛感したイスラエルは
強力な主力戦車を欲しました。
中古のセンチュリオンの買い付けと共にイスラエルが
最終的に選択した新鋭主力戦車は同じイギリスのチーフテンでした。
さらにこの延長線上にはチーフテンの次に来る
次世代戦車共同開発計画さえ存在しました。
ですがイギリスからも交換条件として、
チーフテン配備によって余剰となった英陸軍センチュリオンの下取り、
中東戦争の戦訓と鹵獲ソ連兵器の引渡し、
が望まれました。
もちろんイスラエルはこの条件を全て飲みます。
そしてイギリスから届いた余剰センチュリオンの中の1輌が
このFV4202だったのです。
恐らくイスラエル人たちはこのFV4202を見ながら、
やがて配備されるであろうチーフテンの勇姿に想いを馳せていた事でしょう。
しかし彼らの元にチーフテンが訪れる事はついに無かったのです。
1969年
それは中東政策を翻したイギリスの変心による、一方的な契約破棄でした。
チーフテンも次世代戦車共同開発も全て消え去ったのです。


イスラエル独自のメルカヴァ戦車開発実質的スタートはこの直後です。
細かい話をすれば数年前
第三次中東戦争直後1967年からなのですが、
これはイギリス共同開発が考えられていた時期とかぶりますから
メルカヴァは元々この計画と同一だったのかもしれません。
中東戦争の戦訓により誕生した
イギリス軍チーフテン後継のチャレンジャー
イスラエル軍メルカヴァ
生残性を重視して開発された両戦車は
まったく異なるフォルムでありながら
似たようなスペックと発達過程をたどりました。
FV4202はこの似て非なる双子の遠い祖先と言えるのかもしれません。

02/10/19




無砲塔戦車コンテンシャス

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