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M26ジェネラル・パーシングは
大戦中の米国重戦車開発計画の集大成として生を受けました。
その性能はやはり大戦末期に登場した
ソ連のJS-2ヨセフ・スターリン重戦車と同じく40t級で
50t級の独逸Z号重戦車ティーガーTに匹敵する非常に優れたものでした。
ティーガーTは優秀な戦車ではありましたが、
後発のM26やJS-2より設計的にはやや旧世代に属するものだったのです。
しかし優秀な熟練兵が駆るティーガーTは
それまでに築き上げた「無敵ティーガー」の幻影もあって、
これら連合軍新世代重戦車と互角以上に渡り合いました。
M26(T26E3)ジェネラル・パーシング
M26は陸軍当局のM4シャーマン中戦車に対する過信もあり、開発が遅れました。
そのため戦場に姿を現わした1945年2月には、
ティーガーTより強力なケーニヒス・ティーガーも
相手にしなくてはならなくなっていました。
攻撃力・防御力ともにM26をしのぐケーニヒス・ティーガーは大いなる脅威です。
90oM3戦車砲・L50(853m/s 10.8kg)で
ティーガーTの88oKWK36砲・L56(初速773m/s、10.16kg)には互角以上ですが、
ケーニヒス・ティーガーの88mmPAK43/3砲・L71(初速1000m/s、10.16kg)には
明らかに劣っていました。
そこで90oT15・L72.5を搭載するT26E4スーパー・パーシングが急遽造られました。
T26E4スーパー・パーシング試作初号車は
3月15日に第3機甲師団第635戦車駆逐大隊に届けられ、
現地で増加装甲などの応急的な改造を施されました。
40oのボイラー用鋼板を車体前面に、
鹵獲した独逸パンター戦車の80o前面装甲を切り出し防楯に、
防楯両横にも防弾鋼板と前方だけでもケーニヒス・ティーガーに対抗できるようにと
なりふりかまわない改造でした。
そして4月4日ヴェーザー川近辺の戦いで
ティーガーもしくはパンターらしき車輌を一撃のもとに倒しました。
結局これがスーパー・パーシング唯一の実戦にして戦果だったのです。
T26E4スーパー・パーシング試作初号車
防楯上のむきだしの追加復座スプリング、追加装甲など応急的な工作が痛々しい
T26E4スーパー・パーシング生産パイロットモデル
復座スプリングは内蔵式になったが大戦終了のため25輌で生産中止
M26E1
分離弾薬採用の90oT15・L72.5から一体弾薬用の90oT54・L68.4に換装。
これにより発射速度が高まった。
また砲身長はわずかに短くなったものの威力は変わらない。
強火力型パーシングの決定版だが既に戦争は終わっており先行生産型2輌のみ。
歩兵支援用突撃戦車としてM4シャーマンを重装甲化したM4A3E2ジャンボ。
現実においてジャンボは、大勢の決した今次大戦における
将兵最大最後の目的「生存」を保障する戦車として注目される事になりました。
これを踏まえパーシングにも重装甲バージョンが計画される事になります。
これがT26E5です。
結局大戦には間に合わず機動性も悪化したため27輌で生産打ち切り、
全車試験車輌のまま終わりました。
T26E5
M26の最大の欠点は機動性でした。
始祖とも言うべき29.8tのT20試作戦車から41.9tにまで重量増加したにも関わらず
エンジンがフォード500馬力のままだったからです。
このエンジンはM4A3でも使用されており、M26には出力不足である事は
誰の目にも明らかでした。
そのため戦後のM26開発計画の本命はこの点に決定したのです。
800馬力コンチネンタルAV-1790-3エンジンと
アリソン・クロスドライブミッションに換装されたM26E2は素晴らしい機動性を発揮、
1949年M46パットンとして正式採用されました。
これ以降1980年のM1エイブラムズ登場まで、
数え切れぬほどのモデルチェンジを経ながら
米軍主力戦車として君臨し続ける事になるのです。
ノーマルM26シリーズの機関室上面
高機動型M26E2の機関室上面
エンジンがパワーアップしたためグリルが拡大されている
M46中戦車
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