第二章 正統ならざるもの 異形の重戦車たち





第二章 正統ならざるもの 異形の重戦車たち



主力戦車は高機動型のM46と決まりました。
M46にはM26E1に採用された90oT54長砲身砲を搭載する提案もされたものの、
大戦が終わり米国に敵はいないと言う楽観的希望により却下されました。
それでは火力や装甲の強化は放擲されていたのでしょうか?
いいえ、その努力は影ながら続けられていました。
それはスーパー・パーシングの武器とT26E5の重装甲を併せ持つより強力な
重戦車T32です。
もちろんM26そのままでこの性能を盛り込んでは重量過大で支障をきたすのは
火を見るより明らかです。
そのため車体を延長、転輪を片側一つずつ増やしエンジンも770馬力にアップ、
トランスミッションもM46同様クロスドライブ式に改めました。
1945年2月に先行生産車4輌が発注され、うち2輌が車体前面を溶接構造に変更
T32E1と命名されましたが両者とも採用されずに終わりました。
T26E5からの改造計画も立案されましたが、これも2輌で打ち切られました。


T32重戦車


T32重戦車





大戦中米国はM26などの常識的な重戦車以外に、
要塞攻撃などの特殊任務に使用する超重戦車の開発に着手しました。
対空砲から転用した105oT5対戦車砲・L65を搭載し
304.8oの前面装甲を持つこのモンスターはT28超重戦車
回転式砲塔を持たないためT95対戦車自走砲と改名された本車は
86tと言う巨体をM26と同じ500馬力エンジンで動かそうと言うのですから
ヤクト・ティーガーさえ比較にならないほど鈍重で
路上最大速度もわずか12.9km/hでしかでませんでした。
元々独逸ジークフリート・ライン攻撃用に開発された本車は対独勝利により、
対日本土侵攻作戦へと目的を変えながら開発続行されました。
が、完成は1945年9月と間に合わず2輌の試作車輌のみで終わりました。


T28重戦車・T95対戦車自走砲

話はさかのぼって1944年9月、重戦車に興味がない軍をよそに陸軍省兵器局は
T28/95とは別に通常形式の重戦車開発に着手しました。
M26を元に計画された二つの計画のうちの一つが、
T28/95と同じ105oT5対戦車砲を装備するT29です。
この強大な砲を回転砲塔に持つ本車は
T32以上に重量過大になる事が予想されました。
そのため本車はM26の車体をT32以上に延長、
転輪を片側2個ずつ増やし650馬力と若干出力アップ、
クロスドライブミッションを装備しました。
ですが馬力不足は隠しようが無く、
早々にT32と同じ770馬力エンジンに換装されたT29E1が開発されます。


T29 巨大な砲塔バスルは車長キューポラがあり、車長用スペースとなっている。
これはその前部砲塔内を装填手用スペースとして最大限に利用するためである。




T29

ケーニヒス・ティーガーの登場により本車は
1945年4月12日に1152輌の生産許可がおりますが
ほどなく大戦は終結し量産は取り消されました。

その後1947年に数輌完成した試作車は、
急速に発達した技術のテストベットとして引き渡されました。
まず操砲関係の改善と弾道計算機を搭載したT29E2が造られ、
これにT31光学測遠機を組み合わせたT29E3と1950年ごろまで開発は続きました。
しかしながら最終的に、より大口径の砲搭載が望まれたため
本車の開発は打ち切られたのです。


T29E3 戦艦のそれを彷彿とさせる巨大な光学測距儀が目立つ。




T29E3






T29と同時に着手されたのがT30重戦車です。
155oT7対戦車砲・L41とより巨大な砲を装備した本車は
車体・砲塔ともにT29と同じものを採用していました。
ただしエンジンは当初からより強力な
800馬力コンチネンタルAV-1790-3エンジンを搭載(後発のM46パットンと同じもの)。
また、T29の105oから155oと砲弾重量がアップしたため、
人力装填を廃し機力装填を採用しました。
本車も結局12輌で打ち切りとなるのですが、
T30にはその遺志を継ぐものが存在したのです。






T30




 
  

完成した12輌のT30重戦車から2輌が抽出され
開発に着手したのがこのT34重戦車です。
120oT53対戦車砲・L60を搭載した本車は
T29・T30の末弟であり集大成と言えるものでした。




T34 砲重量が増大したためカウンターウェイトとして砲塔後部に
   101.6oの増加装甲が付加されている

採用には至らなかったものの、
後に本車をベースに開発されたT43試作重戦車
M103ファイティング・モンスター重戦車として正式採用量産化され
ようやく日の目を見る事となります。
ただし重戦車は第二次大戦型戦車が恐竜的進化を遂げたものとして、
やがて衰退してゆきます。
重戦車が復活するのは、
重戦車を駆逐した高機動戦車が複合装甲と言う重い鎧を身に纏い
恐竜的進化をとげる時代を待たねばなりません。
ただし彼らは第二次大戦型重戦車と違い
桁違いに強力なエンジンで敏捷性を失っていません。
ですから重戦車とは似て非なるもの。
やはりM103は重戦車の白鳥の歌だったのでしょうか。




M103 T29〜T34と同様、車長は砲塔バスルに位置する。
    T29E3のような巨大な測距儀は衝撃に弱いため
    単純軽量化された小型のM15となっている。
    220輌以上が量産配備されたものの戦火を浴びないまま退役した。





この記事は
月刊PANZER
オスプレイミリタリーシリーズ・M26/M46パーシング戦車
グランドパワー・M26重戦車パーシング
世界の戦車1915〜1945 大日本絵画
TANKS!
Jed Military enthusiasts directory
Military and Computer Games World
John's Military History Page
The Site Devoted to Things That Blow Other Things Up
The Nomad
を参考としました

03/01/27



第一章 スーパーなパーシングたち

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パーシングのお子様と御学友・スペック