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イスラエルは1960年代までフランスの戦闘機ミラージュを使用していました。しか
し6日戦争の後フランスの援助は打ち切られ独力で戦闘機を入手せねばならなくな
りました。その結果ミラージュの技術を非合法的に手に入れ(ブラックカーテン計
画)ミラージュ5の自力生産に成功、これがIAIネシナ−ルとなります。さらにエンジ
ン換装、カナード翼付加により、本家ミラージュを凌ぐIAIクフィルが誕生します。
しかしイスラエルもクフィルに満足していた訳では無く、1979年に国産新型戦闘機
の開発を表明、翌1980年2月にはラヴィ汎用戦闘機開発プログラムを発動しまし
た。
ラヴィにはA-4スカイホーク攻撃機、F-4ファントムU、クフィルを代替する事が求
められました。ただイスラエルにこのような巨大プロジェクトを行う財政余裕は無く、
資金の40%がアメリカの援助、基本構成もF-16ファイティング・ファルコンを参考に
進められました。
しかし国際市場でF-16、F-18の強敵となるだろうラヴィに対するアメリカの風当た
りは次第に強くなり、生産に必要な技術の輸出ライセンス許可の拒絶なども始まりま
した。そして1985年イスラエル経済低迷により計画遅延、米国財政支援打ち切り。
1987年8月30日にラヴィ開発プログラムは正式に取り消されました。
その後、ラヴィ計画によって開発された技術はクフィルや南アフリカ・アトラス社チ
ーターなどに生かされました。
そして今、イスラエルの技術援助を受けた中国独自開発のJ-10・殲撃10型戦闘
機 が誕生しつつあります。J-10こそ、ラヴィの生まれ変わった姿に他ありません。
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