|
世に Twin-boom aircraft と言う形態の飛行機があります。
双支持架式飛行機とでも訳せば良いのでしょうか。
日本では双胴式飛行機の範疇に入れられていますが、
厳密には違うんじゃないだろうかと
またぞろ勝手に私は妄想しています(爆)
双胴式ってのは
ロッキードP-38ライトニング
こんなのとか
ノースロップP-61ブラックウィドー
こんなの
ノースアメリカンP-82ツィンムスタング
そのものズバリこんなのがそ〜なんじゃないのか。
つまり私は
エンジンの入ってない胴体は胴体じゃねえ!
と勝手に決めうちしているわけです(笑)
今回は双胴式じゃない双支持架式飛行機のお話です。
プロペラ飛行機には牽引式と推進式と言う分け方もあるのですが、
ぶっちゃけ簡単に言うと
プロペラが前に付いてるのが牽引式。零戦とかセスナとか普通見かけるやつですね。
後ろ向きに付いてるのが推進式。第二次大戦前には多少あったのですが、エンジンが高馬
力化してゆくと共に姿を消してしまいました。
ですが推進効率は推進式の方がずっと優れていますから、プロペラ機の性能限界に近付い
たころ各国で再び研究されだしました。
推進式で日本で一番有名なのは幻の新鋭機
九州飛行機18試局地戦闘機 震電
これしかないでしょう。
普通の牽引式飛行機を単に前後逆にしただけのようなこの形態は
けっこう簡単に思いつくらしく、
S.A.I.アンブロシーニS.S.4(イタリア)
とか
カーティスXP-55アセンダー(アメリカ)
とか
ノースロップXP-56ブラックバレット(アメリカ)
とか
ダグラスXB-42ミックスマスター(アメリカ)
とかありました。
でもみ〜んな悩んだのが
尾翼をど〜しよう?
って事だったんです。結局み〜んな水子飛行機になっちゃいました。
みんな四苦八苦したんですが、最初っからそれを考慮してた人たちもいたわけで、
そんな人たちが辿り着いた結論が双支持架形式だったのです。
ヴァルティーXP-54スゥーズグース(アメリカ)
三菱17試局地戦闘機 閃電 (日本)
満州飛行機キ98試作戦闘襲撃機 (日本)
抵抗は増えるものの、単胴式の人たちが持ってたやっかいな問題をある程度避ける事がで
きてこの形式はばんざ〜いなはずだったんだけど・・・
推進式にして得たパワー以上に
重くなっちゃったのね、このタイプは!
でやっぱり水子入り〜。
戦時中のこれら諸先輩の失敗を見ながら、終戦直後1946年にフランスで着手された長距離
戦闘機計画がシュド・ウェストSO8000ナルヴァルだったんだけど。
最後発だけあって機体形状は美しく、空力的にも優れていたのだけれど、
やっぱり重かったんだ、これが!
完成後もかなりすったもんだしたあげく1949年に初飛行と時間を喰っちゃったわりに最高速
度は730km/h。もちろんレシプロ機としては悪い数値じゃないのだけれど、これって大戦終了
前後に他の国が叩きだしたのと変わらないかやや落ちるもの。
それにまわりじゃジェット機がビュンビュン飛んでるし。
やっぱり航続距離4500kmってえのが欲張り過ぎだったよね。
エンジン出力2250HPじゃ荷が重いよねえ。
しかもこのエンジン、アルスナル12H-02とは名乗ってるけど
実はユンカース・ユモ213A。そう独逸の名戦闘機フォッケウルフFw190D-9のエンジン。
つまり独逸のパクリだったんだね。
結局一年後の1950年にはすぐ開発中止になって水子の殿堂入り〜。
でもね、列強の推進式プロペラ飛行機が単胴式、双支持架式問わずことごとく失敗してゆく
中で一人静かに正式採用された子もいたの。
サーブJ-21A (スウェーデン)
戦闘機として設計されながらもやっぱり要求性能に達しなくて、対地攻撃機として採用された
のだけれど、これが大戦中に間に合っちゃったんだから恐れ入る。
でもってこの子のエンジンも独逸の主力戦闘機メッサーシュミットBf109Gに採用されてい
たダイムラーベンツDB605。
死してナチスドイツはエンジン残す?
今回の記事は
航空ファン1994年4月号、
世界の駄っ作機、
SKY CORNER、
The Swedish military aviation、
USAF Museum、
Planes and Pilots of World War Two、
Aircraft Information Archive
を参考とさせていただきました。
02/12/23
|
|
|