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クロワゼール・ドゥ・コンバート=戦闘巡洋艦




クロワゼール・ドゥ・コンバート=戦闘巡洋艦

中型高速戦艦ダンケルク
列強の条約明け新戦艦の先駆けとでも云うべき存在でした。
巷間、通商破壊用装甲艦ドイッチュラント級
駆逐するため建造されたと言われます。
ですがドイッチュラントも通商破壊艦ではなく主力艦として計画されたように、
ダンケルクの出自もドイッチュラントより昔にさかのぼる事ができたのです。

1922年のワシントン海軍軍縮条約により
屈辱的な主力艦比率を飲んだフランスでしたが、
今後10年条約加盟国は主力艦を建造できない事になっていたのに対し、
7万トンの保有枠を残していた事も在り
1927・1929・1931の各年に1隻ずつの主力艦建造の権利を認められました。
この権利を十分に生かすべく1925年に新型艦の模索が開始されました。

当時、ワシントン条約によって出現した
条約型1万トン重巡洋艦は列強にとって厄介な問題でした。
それまでの巡洋艦にとってスタンダードだった6インチ砲の場合
商船を改造し搭載可能でこれにより戦時にも急速対応できたのが、
条約型重巡の8インチ砲は商船に搭載できず
その高速・航洋性も相まって恐るべき通商破壊艦となり得たからです。

フランス海軍は新型艦をこの恐るべき条約型重巡を駆逐し、
さらには通商破壊にも従事し得る
クロワゼール・ドゥ・コンバート=戦闘巡洋艦 と定義しました。
重武装で高速の1万7千5百トン戦闘巡洋艦2隻は
3万5千トン戦艦1隻以上の価値があると判断されたのです。
鈍足なフランス戦艦陣に対し遊撃部隊を編成し、
地中海でイタリアの通商破壊を、
そして何よりベルサイユ条約やワシントン条約でフランスに不快を与え
長年の宿敵であったあの目前の島国
海外に多大な植民地を持つ英国に対してこそ
最も重要な意味を持つ艦として期待されたのです。
それにしてもこれらの任務はドレッドノートと共に
フィッシャー卿が創造した巡洋戦艦と酷似しており
名称までバトル・クルーザーそのものであったのは大いなる皮肉でしょうか。

翌1926年には非公式の検討段階から
CSM(Conseil Superieur de la Marine=海軍最高評議会)に正式に認可されました。
これを受け
STCN(Section Technique des Constructions Navales=海軍建造技術部) で
考察された概要は以下のようなものでした。

1、 排水量17500トン
2、 速力34〜36ノット
3、 305mm55口径砲
130mm副砲
4、 対8インチ砲防御

まず主砲ですが4連装砲塔に搭載された
55口径と云う長砲身砲は射程43kmを誇り、
35ノット前後の高速性と相まってアウトレンジ攻撃を可能とします。
さらに計8機の水上機を搭載し艦首・艦尾にカタパルトを装備。
この時期にこれほど航空兵装を重視しその運用を円滑ならしめるため、
主兵装たる主砲を艦中央に梯段式に配置するとは
フランス人の慧眼と云うか奇抜性には全く脱帽です。
機関は通商破壊艦としても偵察艦としても十分な航続力を得るために
ディーゼルを採用、後のドイッチュラントを彷彿とさせます。
装甲厚は不明ですが、同海軍の重装甲重巡アルジェリー
舷側110mm、甲板80mmは一つの目安になるでしょう。

海軍は1927年にクールベ級戦艦フランス(1922年座礁沈没)の
代艦枠3万5千トンを使って2隻の建造を望みましたが
議会の承認したのは重巡コルベールのみでした。
このため一層の研究が続けられる事となりましたが、
独逸が同年から建造を発表した
装甲艦ドイッチュラントの武装が280mmと判明したため、
装甲防御が対8インチ砲に過ぎないクロワゼール・ドゥ・コンバート
同艦に対し優勢を保てないと判断。
改めて艦型を増大する等の研究の結果、
ダンケルクが誕生する事となったのです。

後年、ダンケルクの拡大改良型リシュリューが建造されますが、
その研究開発途上に奇妙な試案が存在しました。



艦橋直後に2基の四連装砲塔と云う奇妙な砲配置。
それはもしかして消えてしまったクロワゼール・ドゥ・コンバート
名残だったのかもしれません。






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仏最後の水上砲戦用軽巡ド・グラース