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ジャン・バール防空戦艦案と航空戦艦案





ジャン・バール防空戦艦案と航空戦艦案

リシュリュー級2番艦ジャン・バールは1936年12月12日
サン・ナゼール港ロアール河口パナエ社にて起工されました。
ですが竣工予定までまだ4ヶ月を余す1940年6月、
フランスの敗北によりナチスドイツの魔の手が彼女に迫ってきました。
ですが艤装委員長のピエール・ロナーク大佐は工員を奮励し
6月19日未完成の彼女を脱出させる事に成功しました。


本国を脱出したジャン・バールは未完成のまま
仏領アフリカのカサブランカに身を落ち着けました。


フランス脱出時のジャン・バール
第二砲塔がガワだけありそうに見えますが、天蓋はついてません!
各所に見える機銃は正規兵装がまったく使用できないため
応急に装備されたこの時点における本艦唯一の武器

1番砲塔は搭載したものの未だ動かせず
さらに2番砲塔は砲身が全く装備されておらず、副砲も未搭載、
主副測距儀未装備、航空兵装未装備、
ボイラーに至っては6缶積む所をたった1缶のみと
まさに無い無い尽くしで脱出してきたのです。


1942年11月8日このカサブランカで係留状態のまま
米新戦艦マサチューセッツと戦う事になりますが
ジャン・バールは射撃方位盤も射撃指揮装置も未搭載で
土地測量用の測距儀3台を応急に装備していただけで
命中こそしませんでしたが
何度も夾叉しているのですから大したものです。

ですが相手は列強新戦艦中きってのガチンコ野郎
サウス・ダコタ級のハードパンチャー!
かよわい姫君をSHS(大重量弾)の暴虐の嵐が襲いかかります。
ですが5発の命中弾も3発が不発弾と効果は今ひとつ。
「ちっ、レーダー不調や。先生、頼んます!」
寄ってたかって弱いものいじめしかできない悪代官一味、
かさにかかった空母レンジャードーントレス爆撃機が
幼い姫君を蹂躙します。
500kg爆弾3発の命中でさしものジャン・バールも着底。
「へっへっへっ、もう後は無いぜ嬢ちゃんよ」
ですがここでフランス海軍総司令ダルラン提督の停戦命令が!


そんなこんなで大破しつつも沈没は免れたジャン・バール、
やはり仏領アフリカのこちらはダカールに蟄居していた
姉のリシュリュー共々連合軍に復帰。
もうちょいで完成だったリシュリュー
ニューヨークへ回航され対空機銃の増備も合わせ竣工、
自由フランス軍の御旗の元 対日戦線に加わりました。

翻ってジャン・バール嬢。
元々未完成な上に対マサチューセッツ戦で被った傷もあり
一朝一夕で竣工できる状態ではありませんでした。
その上ジャン・バールに搭載予定だった2番主砲塔は
ダカール戦で傷ついた姉君の修理用に横取りされました。
さらにジャン・バール復帰プランには
「パンが無ければケーキを食べればいいのよ♪」とばかりに
旧式超弩級戦艦ロレーヌの340mm砲塔流用案まで出る始末。
さすがにこれは無茶すぎて
「あまりにもシンデレラが可哀想」と早々に却下されます。

話は少しさかのぼりますが、
1943年4月15日フランスのフェナルド提督は米ホーン提督に
ジャン・バールの状態を伝えアメリカにおいて
同艦の建造修理するよう説得します。
5月6日にアメリカからの合意が得られ、
フランス海軍レモニエ造船少将を長とする設計チームが
彼女の復帰プランを練り始めました。
ロレーヌ主砲塔流用案の後、まず検討されたのがこちら。


防空戦艦 第一案

米海軍スタンダードの127mmL38連装両用砲を15基計30門、
やはり米スタンダードのボフォース40mm機関砲4連装16基計64門
と云う未曾有の対空火力。
さらに艦尾にX字型に埋め込み式大型カタパルトを装備、
6機収納可能な格納庫を設けました。
このカタパルトは
米海軍戦闘機ヘルキャット、英海軍戦闘機シーファイア
米海軍攻撃機アベンジャー、英海軍攻撃機バラクーダ
を射出可能な強力なものです。
しかしながらこのような航空兵装は最早無意味では?
と云う疑問から本案は却下。
この点を踏まえ次の防空戦艦案が考えられました。


防空戦艦 第二案

艦尾航空兵装を取っ払い対空兵装の強化に努めた結果、
米海軍スタンダードの127mmL38連装両用砲を17基計34門、
やはり米スタンダードのボフォース40mm機関砲4連装20基計80門
と第一案を上回る強力な対空火力を手に入れました。
ですがこの案も却下。
あーでもないこーでもないと右往左往しているうちに
フランス側の優柔不断さに業を煮やしたのか
1943年8月18日ホーン提督はジャン・バールの建造拒否を通達します。
慌てたフランス側は最終案?空母改装案を持って
米海軍司令長官キング提督に直訴しますがもはや後の祭り。
アメリカ側はこの研究案を受理するものの
10月3日に計画を放棄します。
翌1944年3月2日正式にジャン・バールの建造は拒絶されました。
ここで面白いのは上記はフランス側の言い分で、
アメリカ側はキング提督による空母改装の提案を
フランス側が蹴った事により建造中止となった、
と主張している事です。
どちらにせよ当事の自由フランス軍にとって緊急に必要なのは
最新鋭高速戦艦などでは無く
駆逐艦などの汎用性の効く小型艦艇であって、
ジャン・バール建造中止はこのような現実的な面から
決定されたと見るべきなのかもしれません。


結局ジャン・バールはカサブランカに留め置かれ
終戦までの2年間兵員の宿舎や倉庫としての日々を過ごしました。

対独戦終結の3ヶ月前1945年2月21日(12日とも)
フランス海軍大臣はジャン・バール建造を支持
ようやくジャン・バールも日の目を見る事が許されました。
これは対独戦よりむしろ対日戦を睨んでの決定でしたが、
提督達の間では戦艦と空母の是非が問われていました。
ジャン・バールに関しては、
1、戦艦として完成させる
2、空母に改装して完成させる
3、完全に廃棄する
の3つの選択肢がありましたが
建造は了解事項であって、前2者の選択が問題でした。
彼女にとって幸せだったのは9月21日の
CSM(Conseil Superieur de la Marine=海軍最高評議会)で
満場一致で建造費用削減が拒否された事でしょう。


ここでようやく冒頭に掲げた航空戦艦案が登場してきます。
艦隊主任設計者(Ingenieur general)にして
D(C)CAN議長(D(C)CAN=Direction (Centrale) des Constructions et Armes Navales
=艦隊装備建造管理局)である
カーン氏が7月に示した空母案(航空戦艦)は
建造費用に50億フラン(約1億ドル)
建造期間が5年以内と云うものでした。
飛行甲板は90mm装甲からなり、
搭載機数は格納庫内に40機、露天係止14機の計54機。
搭載機数がやや少ないのは既に船体や煙路ができあがっており
真っ当な格納庫を設ける事が無理なためでした。
対空砲はダンケルクに採用された130mm両用砲の改良型で
連装砲塔を8基 計16門を装備しました。
主砲は380mm4連装砲塔2基と元戦艦案と同一ですから
戦艦としての能力も劣っていません。
ですが一部の提督に熱心な支持者がいたにも関わらず
本案は同価格の新造空母に対し半分の搭載機しか持たない事、
純然たる戦艦案に対し遥かに高価である事を
理由に却下されました。
現実には見積もりが誇張されており
経費が35億フラン、建造期間が3年程度だったとも言われます。
ただ当事 英国がヴァンガードを建造し
米国でもアイオワ級5、6番艦が建造中だった事が
戦艦案を選択させた大きな要因だったのは否めません。

しかしながら彼女ができた時(1950年4月)にはアイオワ級5、6番艦は建造中止。
航空戦艦案支持者はそれ見た事かと思いましたが
「最初っからスクラップにして普通の空母造っときゃ良かった」
と云う声の前では何も言えなかったでしょう。


ジャン・バール決定案
100mmL55両用砲×2×12、57mmL60機関砲×2×14
この他、水雷防御、機関出力、電子兵装などが
リシュリューより格段に強化されている
とは云え時代遅れの徒花か・・・




未成重巡洋艦 サン・ルイ

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