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戦後のフランス機甲部隊を背負って立つべきARL44は旧態依然とした部分を残していたた
め正式採用される事がかないませんでした。
実際には経済事情の方が大きかったものの、フランスも新戦車の開発をあきらめたわけで
はありません。AMX(イシィ・レ・ムリノー国立兵器廠)は早くも1946年にソ連スターリン重戦
車、独ティーガー重戦車に対抗可能な新戦車の計画書を提出します。
新戦車は技術的規範を旧式なARL44ではなく、大戦中の敵独逸戦車に求めました。
これは戦後、実際X号パンターを配備し熟知していたフランスにとって当然の結果だったか
もしれません。
千鳥足転輪とトーションバー、エンジンレイアウトはパンターから、
1000hpエンジン(マイバッハ HL 295)、エンジンとトランスミッションを一体化させたパワーパ
ックはE-50から、それぞれ影響を受けました。
独逸戦車の如きオーバーラップ転輪
パンターA(左)とAMX50(右)のエンジンレイアウト
もっとも主砲塔はフランス独自の自動装填機構を備えた揺動砲塔と100o砲を採用。
試作車は1949年に完成しました。
さらに小改良を施した先行生産型を経て、120o砲搭載型の開発に進みます。
AMX50 120mm砲搭載型試作車 1953
前面装甲改修型 1955
さらにソ連重戦車JS-3スターリンに影響を受け、車体前面装甲を楔形に改修したタイプも
造られます。
低姿勢型 1958
最終的に車高を低め、車体前面装甲を鋳造に改めたタイプが完成。
AMX50 フォッシュ 1950
ロレーヌ突撃砲 1950
やはり独逸突撃砲に範をとったフォッシュ120mm突撃砲、AMX50の主砲を流用した小型
軽量なロレーヌ突撃砲も開発されたものの、AMX50もろとも全て不採用のまま開発中止と
なりました。
他国と同様フランスにおいても、重装甲・強火力でも重量過大で鈍重な重戦車は生き残れな
かったのでした。
今回の記事は
CHARS ET BLINDES FRANCAIS
PETIT PANORAMA NON EXHAUSTIF DES BLINDES DE FABRICATION
FRANCAISE DE 1945 A
Jed Military enthusiasts directory
Moderni tanky
Technical Virtue
Тяжелые танки ИС часть 3
Panzers Head
を参考とさせていただきました。
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